林義一さん、心不全で死去

大映投手でパ・リーグ初の無安打無得点試合を達成した林義一さんが1月17日に心不全のため東京都内の病院で死去していたことが分かった。87歳。徳島県出身。徳島商高、明治大、全徳島を経て、1949年に大映に入団。「七色の変化球」を駆使する技巧派投手として活躍し、1952年4月27日の阪急戦でパ初の無安打無得点試合を達成。1957年から阪急でプレーし、翌58年限りで現役を引退。その後は近鉄の投手コーチ、代理監督を経て、1962年に産経新聞社に入社。1964年に国鉄の監督に就任し、65年途中までサンケイの監督を務めた。その後も産経新聞東京本社の運動部記者を経て、1968年からは阪神、西武の投手コーチを歴任。江夏豊工藤公康森繁和らを育てた。