加藤博一さん、肺癌で死去

阪神や大洋などで俊足巧打の外野手として活躍した野球解説者の加藤博一さんが肺癌のため神奈川県横須賀市内の病院で死去。56歳。1951年、佐賀県多久市生まれ。1970年に多久工高からテスト生としてドラフト外西鉄に入団し、スイッチヒッターに転向。1976年に阪神へ移籍し、1979年に甲子園初登板の江川卓からプロ初本塁打を放つと「江川キラー」として活躍。1980年には高橋慶彦盗塁王を争った。1983年に大洋へ移籍し、1985年には近藤貞雄監督(故人)が高木豊屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」と名付け、加藤さんは自身最多の48盗塁、3人で計148盗塁を記録。1986年にはプロ17年目で初のオールスターゲーム出場も果たした。1990年に現役を引退した後は野球解説者として活躍したが、2年前に肺癌と診断され、昨年2月に左肺を摘出。術後は驚異的な回復で仕事に復帰したが、同年7月に左足大腿骨などへの転移が判明。放射線抗癌剤による治療で入退院を繰り返していたが、年明けになって病状が悪化したという。