田宮謙次郎さん、脳内出血で死去

阪神田宮謙次郎さんが、脳内出血のため茨城県筑西市の病院で死去。82歳。茨城県立下館商業学校(現下館一高)から日本大に進学。1949年に中退し、投手として阪神に入団。1年目に11勝を挙げ、翌50年には国鉄戦で9回二死までパーフェクトを続けながら中村栄に内野安打を許し、史上初の完全試合達成を逃した。肩を痛めて52年から野手に転向。58年に打率.320で首位打者を獲得し、長嶋茂雄(巨人)の新人三冠王を阻止。同年オフにA級10年選手の権利を行使して大毎に移籍すると、山内一弘榎本喜八らと「ミサイル打線」を形成し、60年のリーグ優勝に貢献。63年に現役を引退した後は、70年途中から73年途中まで東映、日拓の監督を務め、94年から2年間は台湾プロ野球の味全でも指揮を執った。2002年に野球殿堂入り。