鬼頭政一さん、肝臓癌で死去

元クラウンライター監督の鬼頭政一さんが昨年11月4日に肝臓癌のため福岡市の病院で死去していたことが分かった。88歳。名古屋市出身。旧制の東京・日大三中(現日大三高)から1940年に名古屋に入団し、ライオン、朝日で42年までプレー。戦後は八幡製鉄を経て、1950年から西武、近鉄で内、外野手として活躍。1958年に現役を引退した後は柳川商高(現柳川高)監督などを務めた。1968年に西鉄のコーチとして再びプロ球界に戻り、翌69年は“黒い霧事件”の責任を取って辞任した中西太監督に代わって監督代理に就任。1976年から2年間は太平洋クラブ、クラウンライターで指揮を執った。退任後は福岡県太宰府市で暮らし、2001年からは九州六大学リーグの九州大でテクニカルアドバイザーなどを務め、地元の大学野球界の発展にも尽力した。