山内一弘さん、肝不全で死去


毎日や大毎などで強打の外野手として活躍し、ロッテと中日で監督を務めた山内一弘さんが2日に肝不全のため東京都内の病院で死去していたことが分かった。76歳。愛知・起工高から社会人の川島紡績を経て、1952年に毎日に入団。1954年から2年連続打点王を獲得するなど、巧みな打撃で「シュート打ちの名人」「打撃の職人」と呼ばれ、「ミサイル打線」の中心として活躍。1960年には本塁打と打点の二冠を獲得して優勝に貢献し、最高殊勲選手(MVP)に選出。1964年には、ともにチームの中核だった小山正明との「世紀のトレード」で阪神に移籍。1968年に広島に移り、70年限りで現役を引退。プロ19年間の通算成績は、2235試合で打率.295、2271安打、396本塁打、1286打点。首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度、ベストナイン10度の実績を残したほか、史上初めての通算300本塁打や通算2000試合出場、川上哲治に続いて2人目の通算2000安打を達成。16度出場した球宴でも最優秀選手(MVP)に3度輝くなど活躍し、「オールスター男」「賞金泥棒」とも呼ばれた。指導者としても評価が高く、引退後は巨人、阪神でコーチを務め、1979年からロッテ、84年からは中日で各3年ずつ指揮を執った。監督通算成績は6年間で336勝313敗63分。その後も巨人、オリックス阪神、ヤクルトでコーチを歴任。教えだしたら徹底して指導する、気が付けば他球団の選手にまで打撃理論を教えてしまうほどの熱意から、ついた渾名は「やめられない、止まらない」のフレーズで有名な「かっぱえびせん」。吉田義男が監督を務めたフランス代表の臨時打撃コーチや台湾プロ野球の和信でも打撃コーチを務めるなど、海外でも指導力を発揮。2002年に殿堂入りを果たした。
山内さんとは野球文化學會の総会でお話をさせていただいたことがあります。ご冥福をお祈りいたします。